生きやすいとは、本来の自分の特性を認めて許して活かしていくこと。

最近、私はこんなに喋りたい人だったんだなあ、と自分で感心するというか、呆れる(笑)ことがあります。

よく喋る、というのは良くも悪くもあり、歓迎される場面と、歓迎されない場面がありますが、私はこんなに話したい人、いろいろ伝えたいことがある人だったんだなあ、と、まず自分が知って認めてあげることが、私にとって大事なプロセスでした。

なぜなら、私は大人しい子、と周囲から言われ、お喋りは良くない、しおらしくしていた方がうまくいく、というのを、幼少期の早い段階で家族の中で無意識に手に入れ、その成功体験に沿って生きていました。

でも、本当は本来の私の姿ではありませんから、話したいことが私の中に溢れていたからでしょう。

母方の祖母から毎年お正月にもらう、当用日記というものを、びっしりと毎年かなりな量を書いて埋めていました。

日記を贈って喜んで書いてくれるのは、孫の中でもあなたくらいだ、と、感心して祖母が語るのを、へえー、と不思議な心境で聞いていました。

みんなよく書かずにいられるな、という気持ちが私の正直なところだったからです。

えらいとかの問題でなく、私は書かずにはいられなかったのです。

それくらい私は、話したくても話しを聞いてもらえる環境を用意されていない、子どもの話しを聞くよりも、自分の感情をまずホールドできない両親をはじめ大人に囲まれていました。

ですから、大人として、話しを聞き、寄り添ってあげる、という役割を子どもの私がしていて、結果その立場の逆転、負担が私を思春期から病ませました。

それでも、せっせと日記や文章にして書くことで、なんとか内側に発生している私の中の混沌としたものを、外に出そうとしていたのではないか、と、感じています。

私が、本当に自分はよく喋るし、知らない人との出会いも好きだし、人そのものが好きらしい、と気づいたのは、夫と再婚してから、つい3.4年前からでした。

中年になってやっと私は、私の本来の特性を認識できるようになったのです。

あなたって、本当によく喋るね、と夫に感心され呆れられ(笑)、新しく知り合いになる人とも大概楽しい!!と思ってよく喋り、奥さんは元気だね、よく喋るね、と夫が言われてはじめて、えっ?私のこと?と認識する始末でした。

それくらい私は、どちらかといえば大人しく、人前に出るのは苦手だと思っていたので、へえー、そうなんだ、とはじめは人事のように感じていました。

私が生きづらい、と思って長年生きていたのは、あらゆる意味で本来の私を生きていなかったからなんだ、とその頃から気づきはじめました。

自分の感情を大人にケアされてきていないと、自分で自分の感情を感じ取ることができず、自尊心が低く自信がないので、人前にでること、自分の意見を言うこと、新しい人や場所などの環境の変化をとても恐れます。

私は人が嫌いなのでも、大人しいのでもなく、そのような幼少期を経て、恐れや不安が強いから、危険回避のために消極的な行動、生き方をしていたことが深く理解できるようになりました。

だから、私はそのようなトラウマ反応からの今までの生き方ではなく、本来の私自身を体現して生きる生き方にシフトしている真っ最中です。

そうした自分の体験から、

生きやすいとは、何ものにも邪魔されない、本来持って生まれた自分の特性を、自分自身が、良く知って認識し、その特性を許して活かしていくことなんだな、と感じています。

そんな唯一無二のその方の特性を、自分も他人もジャッジすることなく、のびのびと活かして生きていかれる方が1人でも多い世界であってほしいと願っています。

元々の特性がわからない、と言う方は、私と一緒に探求していきましょう。