私が学びをしてきた理由は、失われた父性を取り戻すことだった。

今日の朝、あるワークをするコミュニティに1時間ほど参加し、大事な気づきを得る貴重な時間を過ごしました。

そのあと、またすぐ別のコミュニティに3時間半ほど参加しました。そこでは私はスタッフの一員でもあったのですが、とても満ち足りた、滋養ある時間を過ごせました。

そのため、今日は朝5時に起きて、ウォーキング、洗濯、食事の支度などを手早く済ませて臨んでいました。

全く学びに興味がない人もいるのに、いつも私は学びに目が向くのはなぜだろう?と自分でも感じることがあったのですが、あとの講義でその応えが明確に分かり、見えなかったものが見えたような、非常にスッキリとした気持ちになりました。


知恵は刺激であり、一貫性のあるもの

講師のセラピストが話したときなるほど!と思いました。

私は、母親の肥大化した母性に呑み込まれ、父親が精神的に不在である、不在の父性の家庭で育ち、典型的な機能不全家族の子どもでした。

両親、祖父母から発せられるエネルギー、家庭で見聞きすることは一貫性がなく、整合性がつかないことがたくさんあり、私は小さな頃から混乱や葛藤を内側に抱えていましたが、感情を抑圧しているのでそのことに気づけません。

でも、無意識で、

私の内側に一貫性が欲しい!

失ってきた父性を取り戻したい!

こんな風に自分で言語化はできませんでしたが、この強い内側からの欲求に突き上げられるようにして、あれこれ学んできていたのだ、と自分の行動がシンプルに理解できました。

私は母から与えられる母性にお腹がいっぱいで苦しんでいましたが、父性が足りないことも、私を生きづらくしていました。

だから私が無意識にやってきたことは、それらの母性と父性をバランスよく取り戻したい、という行動でした。

私の無意識って、なんて賢いのだろう!と思わず思いました。

私は、父性である一貫性を手にしようと動くことばかりにも行き詰まりを感じていたところ、母性的なワークも昨年からセラピストに教えていただき、自分でもコツコツとやっていくうち、やっと自分の中が統合されてくる感覚がありました。

そして、現実的にも、母親と断絶したい!もうしてもいい!くらいに思っていたのがふと流れが変わり、必要なときは原家族とも交流する、という形になりつつあります。

母を拒絶するのも、拒絶するという形で母に呑み込まれ、私が、私らしく自由に人生をクリエイトする、という軽やかさではない、母に縛られていたんだ、と気づきはじめています。

自分が、ふと思う、感じる、はとても大事な行いです。

が、なぜだが分からない、より、

意識的に今なぜ私がこう思ったか、このような行動をしたのか、が明確になると、より人生がクリアに、彩り豊かになります。

ぜひ、みなさんにも彩り豊かな人生を経験していただきたい、と願っています。

わからない、という方は、私と一緒に楽しんで探っていきましょう。

私は自己探求ほど、エキサイティングな遊びは実は世の中にないのではないか、と密かに思っています(笑)