夫のバンコク出張と共に駆け足でしたが何日かバンコクに行き、気づいたことがありました。
かつて著しく自尊心が低かった私は、
私が生きているだけで申し訳ない、
という思いがありました。
自己価値が見出せず、私のような人が生きているのは、社会にとっても重荷にしかならないのではないか、と15歳で拒食になってから漠然とした思いがありました。
だからお財布に臓器移植カードを入れたり、やたらに少ないお金のなかで寄付などをし、罪悪感まみれの私は、こんな私が人の役に立てるものは何だろう?と、愛からではなく、自分の恥からの動機で行動していました。
だから豊かさよりも、虚無感が強く、私の心はいつも疲弊していました。
そんな時代を経てセラピーを継続してきて、今はだいぶ自分を愛せるようになってきました。
自然に人に与えることに喜びを感じるようになっていました。
今の私は自分の安心のためだけでなく、体験のために、経験という自分の内的な豊かのためにお金や時間を使えることを、いつのまに許可できるようになっている、とふと旅行中に気がつきました。
かつての私のマインドでは、こんな旅費にお金を使うなんてもったいない!という思考になっていたと思います。
豊かさを自ら拒否し、ブロックしていたと感じています。
究極、私は家族、社会、宇宙にとって重荷の存在ではなく、私という存在は、尊い神さまからの贈り物。
だから私がたくさん経験をして成長し、豊かさの循環のなかにいることは、周囲にとっても贈り物になるはず、くらいに思えれば豊かさの循環は継続して回っていくのではないか、という気がしています。
それは受け取るだけでなく、私も人に与えられる存在であり、人の役に立っている、ということを、心の奥深いどこかでは本当はずっと前から知っていた、と感じるからです。
この、自分は尊い贈り物である、人の役に立っている、を何となくでも知っているというか、思い出せれば、しゃかりきになって、使命で人の役に立ちたい!と使命を探したり、求めなくても、自然にそれらが湧き出でてくる気がしています。
受け取る喜び、与える喜び。
あらゆるブロックを外し、許可していくものが増えるにつれ、それがもっと拡大していき、豊かさの循環も大きくなるのだろう、と感じます。
が、ブロックを外すのは、なかなか1人では難しいです。
私自身もセラピーを継続し、これからも一生涯継続するつもりであります。
そして、私も今モニターセッションをしていますが、あらゆるセラピストやツールを利用し、ともに励まし合える仲間がいると継続して意欲的に取り組みやすいと感じます。
かつての私のように自分に価値が見出せない人が、私は尊い贈り物、と思えるような日がくることを、心から願っています。