誰かや何かを必要としなくても、人はみな素晴らしい存在ある。

仕事でスキルを磨くことは、とても大事なことだと思います。

が、私はスキルがあるから何をしても許される、と内側で思っている状態だと、外側にその傲慢さが漏れでてしまい、いつのまにか孤立し、結局は自分自身を自分で追い詰めています。

自分が尊重されている

と感じられる状態は人間の生命の根源に関わることなので、人を尊重する人の周りには人は気持ちよくいられますが、尊重してくれない、と感じる人からは無意識に離れていく、と感じます。

そのような人といると居心地が悪いのは、生命そのものの危機を知らせるセンサーが、どこかで働いているのではないか、と感じます。

が、これが小さな頃から家庭などで蔑ろにされて育つと、その狂ったセンサーがデフォルトになっていて、無意識に大人になっても自分を尊重してくれない人におもねて、気に入られようとしたりします。

私はかつてはそのやり方を無意識にやっており、今はそこから訣別した、と意識の上では思っていました。

が、最近ネガティブなことが起きたとき、

まだ私は人を叩いて下に下ろし、自分を上にして優越感に浸りたい人からパッと離れず、無意識に気に入られようとする動きをしていなかったか?と思いました。

いや、もっというと、その組織、全体に貢献したいとの思いが強いと、そう動いた方がバランスをとれる、と無意識にやっていたように感じます。

家族の中で1番年下でたった1人の女の子だった私は、できる私、より、できない私、上から叩かれていたほうが(精神的に)家族のバランスとしてうまく機能する、と無意識に立ち回っていました。

自分で自分を認められない人は、認めるために誰かや何かを必要とします。

誰かを叩いて下にし、自分が上に感じることで、やっと自分を認められたように感じます。

また仕事のスキルを頑張って磨き、他の人よりできる、とどこかでアピールすることで自分を認めさせたり。

認めさせる材料は何でもよくて、共通するのは、

何かがないと自分は素晴らしい、と思えない、ということです。

本来人はみな素晴らしい存在である、を忘れているため、自分より仕事ができないと思える人をバカにしたり、下にみたり(本当は上も下もないですが)誰かの悪口を言ったりすることでしか、自分の素晴らしさを認められない。

本当に、他人を尊重し、スキルの高い人もたくさんいますが、仕事ができる、と思っている、思われている人のなかで、誰かをバカにしたり、下にしたりしないと(しつこいですが上も下もないです)自分を認めることができない人も、一定量、いや私が思っている以上にいるのかもしれない、と感じます。

私の家庭自体が、そのように、まだ未熟な子どもをバカにしたり、蔑ろにして自分を認めさせる大人の中で育ったわけですから、どこの組織にいても全くおかしくないのかもしれません。

そのような光景をみたり、自分が経験するたびに、私は彼らを掬うことはできない、という事実に圧倒されます。

そうなると、できることは、私も含めた誰もが、どんな自分も受け入れ、自分を深く愛し、そのように誰かを利用して認めさせることはできないのだ、ということを無意識の領域で伝え、示していくことしかないのか、と感じます。

そして、そこは、謙虚でありながらも、堂々とやっていくことなのか、と。

もしどこかの組織で蔑ろにされたり、辛い思いをしている人がいたら、そこにあなたが加担する必要はない、利用される必要はありません。

また逆に、そのようなことを無意識にやってしまっている人がいたら、あなたは誰かや何かを必要としなくても、充分素晴らしい存在なんです、どうか、その真実を思い出してください、と、伝えたく書きました。

お読みいただきありがとうございます。