静寂のなかで自分を感じる〜本来の自分を取り戻していく〜

年末年始はいつも以上に情報に触れ、独りで自分を取り戻す時間をつくりたい、

と三が日明けから感じました。

まず夫が家にいると一日中テレビをつけます。

私はニュースなど今はこれを見る、と決めたときだけ短時間みたいタイプですが、夫は一日中つけていたいタイプです。

休みの日しか見れないんだから、と言い、テレビが大好きな夫の気持ちを尊重していると、だんだんと私は情報量が多すぎて疲れを感じてきます。

同じく、たくさん人が集まるから、たまのお正月だから、とご馳走やいただきものなどが必要以上にあるとなんとなく疲れます。

実際、今日は吹き出物が口の下に珍しく出て、食べすぎだよ、と身体が教えてくれます。

お正月に多すぎたことを今回は例えに出しましたが、現代に生きる私たちは多すぎに疲労していることが多いのではないか、と感じます。

かつて私は20代後半から40代半ばくらいまで集中内観をしに、内観研修所という場所に1週間、毎年1〜2年に1回くらい通っていました。

http://naikan-igaku.jp/page1.html

http://naikanhou.com/

屏風のなかで1週間1日中自分を内観する作業ですが、情報が遮断され、食事も出してもらうものを食べるだけなので、驚くほどやるべきことに集中できます。

はじめは足の痺れ、体の体勢の窮屈さ、退屈などを感じてかなりきついのですが、実際にそのような集中状態に入ってしまうと、だんだんと言いようのない幸福を感じてきます。

1週間終わると達成感、何ものにも変え難い幸福感、今私は生かされているんだという喜びを感じ、心が満ち身体も健やかになって帰ってきます。

が、またしばらくすると、私かなり汚れが積もってきたな、と感じるので定期的に通っていました。

その頃はセラピーの学びをしていなかったので、自分のなかにある痛みに深く向き合ってはいないままでしたが、それでも多くの気づきや得るものがありました。

また、断食道場にも何度か行きましたが、食事を軽くする、という物理的な行動以上に感じたことは、施設には情報がないので自分と深く向き合え、自分を大切にできる良い時間になった、ということでした。

情報が何もないなかにいると、否応にも自分と向き合わざる得なくなります。


自分とは何者か
自分は何を望んでいるのか
自分は何を感じているのか、感じてきたのか

紛らわすモノが一切ないなかに身を置くと、そこと向き合うしかやることがないのです。

そういう体験をしたあとは、しばらくは心も身体もスッキリし、物事に意欲的にあたれ、感謝の気持ちが強くなります。

が、だんだん日常生活のなかで暮らしていると、なんだかモヤモヤしたり怒りが沸いたりしてくるのがかつての私のパターンでした。

セラピーを学び受け、日常的にいろいろなワークや瞑想をするなかで、かつてよりはずいぶん軽くなりましたが、まだ払い手放すものがあることもしっかり認識しています。

自己探求は一生かけてやっていくことだろう、と感じています。

今回は、1日のなかでいっ時でも情報から離れて自分と向き合う時間をとると、何かに影響されたままの自分ではない、本来の自分を取り戻せるきっかけになるのでは、との思いから書きました。

お読みいただきありがとうございます。