人生が拡大するということは、自尊心もお金も付き合う人も、あらゆることが拡大すること。

自分の人生を拡大していきたい!と思ったら、えいや!!と、怖い、怖い、と思いながら、やってみたことのない領域に手を出していく、足を踏み入れていくことなんだな、とつくづく最近体感として感じています。

かつての私の自尊心は超絶低く、

私が生きてるだけで社会に迷惑なんじゃないか、
なんかごめんなさい、
なんかすいません、

という心持ちで生きていました。

だからかつては意味もなく、口癖のようによく謝っていました。

ですから、誰かの考えたシステムで、誰かが決断してくれる上に、受け身で乗っかってお仕事をしているときでさえ、(雇われているなかで)お金をもらうことに対して、

私は本当に貢献できているのかな?
もらっていいのかな?

といつも自分を疑っているような心模様でいました。

だからお金をいただくことに、いつも罪悪感が伴いました。

あらゆることに罪悪感がついてまわっていました。

が、今、私は自分で考え、自分でやりたい!と思ったことを、いろんな人に助けていただいたり、アドバイスをいただいたりしながらではあっても、自発的にやりたいからやる、誰にも強制されているわけでもないのに、勝手に考え、勝手に決めて行動し、お金をいただけるようになっています。

これって、よく考えると、超絶自尊心低く、愛もお金も、もらうことも与えることも拒んでいる、罪悪感まみれの人生だった私にしては、すごい成長だな!と感慨ものがあります。

年商◯億、とかいうレベルからは、アラスカよりはるか遠いところにいますが、人から食事を奢ってもらうのでさえ、罪悪感たっぷりなあまり、素直にごちそうさまでしたあ!!と明るく喜べなかった私にしては、ものすごい進歩だよ、と自画自賛したくなる心境でいます。

今は、夫の会社で働けば、お給料まだもらっていないです、などとしっかり催促したり、人から奢ってもらえば、ただ嬉しく喜び、感謝いっぱいで素直に受け取ることもできるようになりました。

人にお金を催促する、なんて昔の私ではありえない!!言えない!言えない!と深い悩みになってしまうようなことも、いつのまにかさらっとできるようになっていました。

そしてよかれと思えば、万が一嫌われてもいいや!と積極的に人に声をかけたり、自発的に与える、が段々できるようになり、誰とでも気軽に知り合いになれるようになってきました。

付き合う人の幅が格段に広がり、またそういう人たちはさらに人を紹介してくれるような気さくな人たちなので、私の世界が自然に拡大していきます。

かつての超絶自尊心低い、小さな小さな世界で息を詰めて生きていたような私の人生からは、思いがけない人生になっているなあ、と思います。

ではなぜ変容してきたのかといえば、

私は私でいい

という、何かができるからとかできないとかによらない深いレベルの場所で、ありのままの自分を認められるようになったからだ、と感じています。

あなたの人生はどうでしょうか?

幸運にも、健全な育ちをしている方であれば、当たり前に成長し、人生が拡大していることでしょう。

ですが、私のように機能不全家族の中にいて、愛が分からない、自分の価値が分からない、いつも罪悪感、不安、恐れが人生の根幹にあった人は、人生はどんどん拡大できる、という事実が描けないのではないか、と感じます。

そういう方たちに、人生が拡大していくのは夢物語ではなく、コツコツと自分のトラウマに向き合い、痛みを痛みとして目を背けずにしっかり受け止め、ひとつひとつ癒してケアしていけば、必ず当たり前に手に入るものである、を言いたくて今日の記事を書きました。

誰もが人生を拡大していける社会であるよう祈ります。

新たな視点を手にすることができた〜モニターセッションご感想〜

モニターセッションを受けてくださったT様からのご感想を掲載します。

最近私は、感想を書いていただくのはしなくていい、という心境になっていました。
そのことが負担になってしまったら元も子もないな、と。

が、積極的に、イキイキと感想書きます!とおっしゃってくださり、これから自己探求を深めていくなかで、さらに躍動感や快活さが増して、エネルギー高く活躍されていくのだろう、と感じました。

私自身が良い刺激と学びをいただき、ありがとうございました。

【T様ご感想】

今回私はnoteの方からこちらのセラピーを知り、モニターセッションを受けさせていただきました。

セラピーを受けてみたい、と思ったきっかけは、ここ数ヶ月プライベートで人間関係の色々(モヤモヤ)があり、これを機に自分自身のインナーチャイルドそして心の傷を、真剣にじっくりと見つめ、そして前を向いて生きて行きたい!そう考えたことでした。

そんな時にたまたま、よしおかさんのnoteの記事が目に止まり「あ!」とピーンと直感が舞い降りた私は、すぐに問い合わせをさせていただきました。

実際にオンラインにてお会いしたよしおかさんは、とてもナチュラルな方で、じっくりとお話を聴いてくださいました。それなので私も、す〜っと今まで抱えてきたものをお話することが出来たのです。とても気持ちが楽になりました。

それと同時によしおかさんは、ご自身が経験されてきたことも踏まえ、客観的な視点から、私の抱えて来たモヤモヤについて、感じたことなどをお話してくださいました。

そうしてお話していただいた内容が、私一人だけでは、とてもたどり着くことが出来なかったであろう、無意識的領域、深層心理、そしてインナーチャイルドやファミリーコンステレーションなどについてのお話でしたので、目からうろこといいますか、新たな視点を手にすることが出来たような気持ちで今います。

正直いいますと私は、スピリチュアル方面だけに偏り過ぎていたり、本質をついていないようなお話には疑念を抱いてしまうような、そんなタイプなのですが……

よしおかさんのお話は、スピリチュアルだけに偏り過ぎるなどのことも決してなく、「地に足が着いた良心的なセラピストさん!」という印象を受けました。

ぜひ今後もお世話になりたい、そう思っています。この度はありがとうございました。

破壊と再生〜自分にかける曇りのフィルターを壊していく〜

今日は満月ですね。

今回の満月はハンターズムーンといい、部分月食でいろいろな意味があるようです☟

https://www.vogue.co.jp/article/hunters-moon-2023-oct/amp

私は、ハートから正直に対話できる人たちと繋がり、協力して(強力に)今何か問題があったとしてもそれを超え、健全な心身になる方を1人でも増やしていけるような活動、そのような世界を一緒に創っていけること、そのものが私の真の豊かさです。

最近、偶然に(必然なのでしょうが)私が出会う人、出会う人、みなそのような方たちばかりで、しかもそういう人たちが繋がり合うと、どんどんその力が強力になっていっていく、というのを目の当たりに体感させてもらっています。

今はオンラインの時代ですから、オンラインだと誤魔化しがききますが、対面をし、その人から発するエネルギーを身体で感じていると、発する言動とは違うものを内側に秘めている、ということも感じとれます。

やはり、直接会ってその方が身体から放っているエネルギーこそ、真のエネルギーであり、どれだけ言動で誤魔化そうとしても、エネルギーから感じとれるものに勝るものはない、とつくづく感じます。

逆に言うと、

私はまだまだで、
私は結構自信なくて、
〇〇さんはすごいですね、私はとても、

などと言動は自分を卑下していたとしても、

その方が内側に秘めている光、
純粋なハート、
誠実さ、
今までの人生経験から放つ美しさ、

すべてが対面しているとエネルギーとして感じとれます。

そういうとき、その方たちを曇らせていて、誰の目にも分かりやすく華やかに光輝せていないのは、その方こそが自分に曇るようなフィルターをかけているからだ、と感じます。

そのフィルターさえ外せば、たちまち輝きだす、と。

人は無意識に、華やかに光輝くのを恐れているのかもしれません。

それをしたことがないし、私たちは小さな頃から目立つこと、みなと同じでいることを無自覚に教えられているので。

対して、自信があるような言動、上からな物の言い方、やたらに人にアドバイスするなどの行為は、その方自身が内側に持っている恐れや不安からくる承認欲求だと感じます。

にも関わらず、そういう方たちの言動から、より自分に自信をなくし、自分に曇りのフィルターをかける方たちは、私もそうですが意外に多いのではないか、といろいろな方たちとお話しさせていただくと、とても感じます。

自分の在りたい姿、
自分が求める真の豊かさ、

を明確にし、今までの曇りのフィルターを自ら壊して新しい自分、再生していく。

そんなことを、この満月を機会にゆっくり向き合う時間を持ってみるのも良いですね。

この満月の日、あらゆる方が自分を愛し、人との愛のなかで豊かに過ごせますように。

フロー状態をつくるほどにセルフイメージが上がっていく。

昨日はダンスワークに参加してきました。

胃腸が不調だな、と思いながら行きましたが、ダンスに没頭している間は胃腸の不快さは全く頭から無くなり、ひたすら踊りました。

はじめは多分、胃が痛かったので硬い表情だったと思いますが、自由にのびのびと自己表現をして踊るうち、満たされているので表情も身体も心も柔らかくなっていった、と感じます。

ダンスワークに参加すると毎回、

本来私たちは自由で何の制限もなく自己表現していい存在なのだ

ということに気付かされます。

いつからか、〇〇しないといけない、〇〇でなければ、とか他者と比較したりしているうち、萎縮し、本来の私らしさが生育過程の中で徐々に失われていったのだろうな、と感じます。

最後の方でペアになり、相手を感じながら背中合わせで相手の温かさ、身体の感覚、呼吸を感ながら動いているとき、なぜか静かに涙が流れて止まらなくなりました。

こんなにゆっくり相手を身体ごと感じながら、

私たちはみんな温かく優しく繋がっている

という感覚をゆっくりと感じ入ったことはあったろうかと思うほど、魂レベルで満たされるので涙が流れてしまうのだと思いました。

前回も、今回も、いつもたまたま?なのか、ペアになる方が女性の美しい方なので、終わると泣きながらずっとハグをしまくってしまいます(笑)

みんな大好きになってしまうのです。

子どものときってそばにいる人みんな大好きで、

お父さん大好き!
お母さん大好き!
お兄ちゃん大好き!

って言っていた記憶があります。

小さな頃は近所のおばちゃんもお友達もみんな大好き!!だったなあ、と。

子どもの頃のpure positive energy を思い出すと幸せしかないな、と感じます。

そんな余韻を味わいながら、今日は午前中に知り合いの女性にオンラインで、痛みの箇所にヒーリングを贈らせていただきながら、お話ししていたときも、とても満たされていて繋がりや温かな愛を感じました。

終わってから感謝のメールがきて、一層心は喜びます。

物理的には今私の胃腸は不調で、痛みや胸やけなどがあります。

が、ダンスワークをしているとき、ヒーリングを贈らせていただいているとき、フロー状態に入っているとき、全く胃腸の不調を忘れている、ということに終わってから気づきました。

フロー状態になっているとき、


私はこの私でいいんだ、というセルフイメージも上がり、心も身体も強くなる、と感じます。

何か自分に自信がもてない、
セルフイメージが低い、
人前で堂々とできない、

(私もです(笑))

そんな感じを持っている方は、

フロー状態に入ること
尚且つ他者と繋がり与えられること

をたくさんしていくと、自ずとセルフイメージも上がっていくのではないかなと感じ、今日の記事にしてみました。

お読みいただきありがとうございます。

私はこのままで大丈夫。ひとつも欠けていないよ。

「自分の嫌なところ」を書き出してみました。

なぜ、そういう思考になるのか?を解明し、自己理解していくために。

自信がないところ
ビクビクしやすいところ
体調が悪くなりやすいところ

書き出したらノート1ページがあっという間にに埋まりました。

書いていて気づいたのは、私の嫌なところの在り方は母や父をみて嫌だと思っていたところだ、と気づきました。

そして、後の部分は社会で求められている姿に合っていないと感じるからではないか、と思いました。

社会で求められる姿、期待される姿に合っていないことが不安にさせるのではないか?と感じました。

それこそが両親の在り方でした。

私の両親は外向きには立派な両親でした。

良い大学を出ていい会社に入り、マイホームを建て、出世しようと努力する父の姿がありました。

外側の条件こそがすべてと思っている父でした。

良い嫁良い妻良い母であるべく、同居の祖父母と子どもの世話に邁進し、子どもにはいい教育をさせることに情熱を注ぐ母の姿がありました。

家事育児地域ボランティア活動に人並み以上に専念をする母でした。

が、すべてそれは外側の結果を追っていて、内側の自分たちの内面、本当の気持ちの交流の会話はしていない、と感じます。

だからこそ、母の本音はすべて子どもの私への愚痴になり、大人同士の関係では良き人を演じていました。

夫婦や家族の話し合いはなく、両親の、特に父の決めたことにただ従うのが当たり前でした。

そこで何か意見を言うとイラついた父が、怒ったり暴力を奮ったり怒鳴るので、それを回避するため、ただみな従っていました。

母からも、「あなたはどうしたい?」と聞かれた記憶はなく、「あなたは〜しなさい」とすでに母が決めたことに従うだけでした。

物ごごろついた頃には、「私の話しは聞いてもらえない。母の話しを私は聞いてあげないといけない。」という思考になっていました。

自分の感情を抑えるのが当たり前だから生きづらい生き方になっていったのですが、私が自分で嫌だな、と思うところが両親の在り方だと感じるということは、いかに彼らも生きづらかったか、と書き出してみてとても感じました。

でも、私は両親とは違います。

私はそのような両親に育てられながらも、私の感性に合わせた、私らしい在り方、やり方に舵を切り変えていかないと、彼らの人生の過ごし方を追ってしまいます。

もうこのやり方は手放していいんだよ、
私は私でいいんだよ、
このままの私でいいんだよ、

本来の私に欠けているものは何ひとつなく、偽りの私だからこそ、何か足りない、変わらないとだめだ、と思ってきたんだよ、

このままの、本来の私で大丈夫なんだよ、

と何度も何度も自分に教えてあげよう、と思いました。

自分について何でも書き出してみると発見がありますが、「嫌なところ」「見たくないところ」こそ大切な事が詰まっています。

そここそ、自分に優しく、語りかけながら観ていくと自分との和解、調和、統合が進む、と感じます。

そして自分を愛するほどに、両親も誰をも愛せるようになると感じています。

どなたかのヒントになれば幸いです。

お読みいただきありがとうございます。

私という存在が尊い贈り物と思えたら。

夫のバンコク出張と共に駆け足でしたが何日かバンコクに行き、気づいたことがありました。

かつて著しく自尊心が低かった私は、

私が生きているだけで申し訳ない、

という思いがありました。

自己価値が見出せず、私のような人が生きているのは、社会にとっても重荷にしかならないのではないか、と15歳で拒食になってから漠然とした思いがありました。

だからお財布に臓器移植カードを入れたり、やたらに少ないお金のなかで寄付などをし、罪悪感まみれの私は、こんな私が人の役に立てるものは何だろう?と、愛からではなく、自分の恥からの動機で行動していました。

だから豊かさよりも、虚無感が強く、私の心はいつも疲弊していました。

そんな時代を経てセラピーを継続してきて、今はだいぶ自分を愛せるようになってきました。

自然に人に与えることに喜びを感じるようになっていました。

今の私は自分の安心のためだけでなく、体験のために、経験という自分の内的な豊かのためにお金や時間を使えることを、いつのまに許可できるようになっている、とふと旅行中に気がつきました。

かつての私のマインドでは、こんな旅費にお金を使うなんてもったいない!という思考になっていたと思います。

豊かさを自ら拒否し、ブロックしていたと感じています。

究極、私は家族、社会、宇宙にとって重荷の存在ではなく、私という存在は、尊い神さまからの贈り物。

だから私がたくさん経験をして成長し、豊かさの循環のなかにいることは、周囲にとっても贈り物になるはず、くらいに思えれば豊かさの循環は継続して回っていくのではないか、という気がしています。

それは受け取るだけでなく、私も人に与えられる存在であり、人の役に立っている、ということを、心の奥深いどこかでは本当はずっと前から知っていた、と感じるからです。

この、自分は尊い贈り物である、人の役に立っている、を何となくでも知っているというか、思い出せれば、しゃかりきになって、使命で人の役に立ちたい!と使命を探したり、求めなくても、自然にそれらが湧き出でてくる気がしています。

受け取る喜び、与える喜び。

あらゆるブロックを外し、許可していくものが増えるにつれ、それがもっと拡大していき、豊かさの循環も大きくなるのだろう、と感じます。

が、ブロックを外すのは、なかなか1人では難しいです。

私自身もセラピーを継続し、これからも一生涯継続するつもりであります。

そして、私も今モニターセッションをしていますが、あらゆるセラピストやツールを利用し、ともに励まし合える仲間がいると継続して意欲的に取り組みやすいと感じます。

かつての私のように自分に価値が見出せない人が、私は尊い贈り物、と思えるような日がくることを、心から願っています。