体調が悪いと気持ちも落ちてきます。
そんなモードになっていたここ最近、ふっと気持ちが軽くなる言葉を、セラピストのお友達がワークのなかで言っていて、聞いている私が何だか癒やされました。
助けてって言っていい
1人でいてもいい
頑張らなくてもいい
何もしなくてもいい
機能不全家族のなかで小さい頃育った人たちは、子どもの頃、「助けて」って言えていない人たちがほとんどだと思います。
助けてって言える環境で育っていれば、何か傷つくようなことがあってもトラウマ、にはなりにくいからです。
トラウマは、何かあったときに助けてと言って、助けてもらえたり、周囲の大人誰かしらに共感を持ってケアをされていれば、トラウマにはならずに済みます。
逆に内容は大したことでなくても、毎回誰にもケアをされなかったり、助けてって言える状況ではない、要は周囲の大人を子供が信頼できていない場合、それこそが、トラウマになります。
問題の大きさや内容と、トラウマは関係がありません。
自分の気持ちを共感的に観てくれている大人がそこにいたか、が鍵なのです。
残念だし哀しいことですが、私も含めてトラウマサバイバーは誰にも共感されなかった、ということで傷ついており、孤独になっています。
そこを癒していかないと、いつも1人で頑張って、孤独になって、人に助けを求めていいということさえ気づかずに、自ら苦しい負のループを無意識に選択しています。
小さな頃にそのやり方しか知らないので、それを延々繰り返してしまうのです。
私も、意識していないと、そのループに自然に戻っていることがいまだあります。
体調が悪い、ということはとても辛いことなのですが、何か、やり方が間違っていないですか?という神さまからの教えだな、とも感じます。
体調がいいということは、自由で、助けてもらえ、誰かや何かに依存することがなく、あらゆる人やものと、相互依存ができることなのだ、と感じています。
深い母子癒着があった私は、共依存から相互依存にシフトするプロセスは、いまだ行きつ戻りつだと感じています。それでも、確実に変わったと思えるのは、かつての人や物とではない、新しい人との関係性のなかで、助けを求めたり、相談したりし、それは対等である、ということがキーワードなのではないかと思います。
私はあなたより下です。
私はあなたより上です。
という感覚があるとき、対等に、本当に共感的に人と関わるのは難しい、と感じます。
私も、ふっと人の下、に入っているときがあります。が、今はいろんな素敵な人たちとの出会いのなかで、また下に、入ってしまっていた、と気づかせてもらいます。
そここそ、自分を罰するのではなく、そうだよねー、それだけ、怯えて、誰にも共感されずに生きていたんだもんねー、大変だったよねー、と、自分が一番、自分に共感できる親でありたい、と思う日々です。
気づくと人の下、に入ってしまう、または逆に、誰かの上に立たないと落ち着かない、という方のヒントになれば、と思います。
上の画像の木々やお花たちのように、太陽は対等に私たちに光を与えてくれ、それぞれが輝いています。
私たちも、対等で自由に軽く、与えられた自分という能力が自然に輝きますように。